日本漢文の世界:本の紹介

書名 古代日本人と外国語
副題 東アジア異文化交流の言語世界
シリーズ名 平凡社選書
著者 湯沢 質幸(ゆざわ ただゆき)
出版社 勉誠出版
出版年次 旧版:平成22年(2010年)増補改訂版
新版:令和4年(2022年)(オンデマンド版)
ISBN 旧版:9784585280026
新版:9784585840749
定価(税抜) 旧版:2,800円
新版:2,800円
著者の紹介 著者(1943-)は筑波大学、京都女子大学教授を歴任。日本漢字音を専門に研究している。
所蔵図書館サーチ 古代日本人と外国語 : 東アジア異文化交流の言語世界 増補改訂
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本の内容:

 奈良時代から平安時代にかけて、わが国は遥か海を越えて唐へ遣唐使を送っていました。遣唐使には多くの留学生や留学僧が同行していましたが、彼らはどの程度中国語を話すことができたのでしょうか。興味ある問題です。本書は、当時の日本人の中国語等の外国語のレヴェルなど、興味深い事実を史料をもとに探っています。
 遣唐使の時代、中国語は東アジアのリンガフランカ(交易共通語)として、日本、新羅、渤海など唐の周辺諸国との交流に使用されていました。わが国でも、貴族のための中央教育機関「大学寮」において、『蒙求』等をテキストとして、中国からの帰化人である音博士が中国語の読書音を教授していました(本書33ページ)。
 しかし、大学寮での教育は儒教が中心で、中国語会話の授業は無く、中国語といっても、読書音としての漢音を教えるだけでした。そのため日本人留学生は中国語が話せない者も多く、三筆の一人である橘逸勢(たちばなのはやなり)も、唐へ入国したものの中国語が話せず、満足な学習ができないという理由で、早期帰国しています(本書57ページ)。
 本書では、旅行記録『入唐求法巡礼行記』を残した天台僧・円仁一行の行動を追うことで、当時の留学僧の語学力を推定しています(本書213ページ以下)。円仁は46歳で入唐し、短期滞在しか許されない請益僧という立場でしたが、念願の五台山参詣と長安での修学を達成するために、あえて不法滞留を試みます。しかし、一回目の不法滞留は、語学力不足のために現地の新羅系中国人に日本人であることを見破られ、あえなく失敗します。二回目は現地の新羅人有力者の協力を得て、かろうじて成功しました。その後、円仁は懸命に中国語を練習し、筆談に頼らず、口頭で会話ができるようになります。そして、長安では中国語を媒介して、インド僧から梵語を伝授してもらうまでになっていました。
 著者が本書を書いたきっかけは、『入唐求法巡礼行記』を読んだことであったそうですが、古代の人びとも、現代の日本人同様、外国語習得に苦労していた様子がよくわかります。
 その後、遣唐使は廃止され、大学寮の講義も訓読中心になっていきます。口頭語としての中国語はもやや使用されなくなります。日本で伝習された漢音は次第に同時代の中国語音よりも古いものとなり、日本化してゆくことになります。しかし、博士家では訓読で用いる漢音は、できるだけ原音に忠実に読むことに配慮し、漢字音は一部カナを用いつつも、カナで表せない音は当時の漢字の表音法「反切」を用いて、漢字原音の保存に多大な労力を割いていました(本書183ページ以下)。
 これらの学者の努力によるほか、著者のいう「外国音の魔力」によっても、漢字原音は長期にわたって保存されてゆきます。たとえば、戦国時代末期に天草で出版されたキリシタン版『伊曾保物語』では、漢字の末尾子音「t」が保存されていました(例えば「分別」が「funbet」のように)(本書171ページ)。
 漢字音は江戸時代に至って、ようやく完全に日本化します。そして、本居宣長が「外国人(とっくにびと)の音は、凡(すべ)て朦朧と渾濁(にごり)て、譬えば曇り日の夕暮の天(そら)を瞻(み)るが如し」と言っているように、中国語音を排斥する意見まで出ることになるのです(本書160ページ)。漢語が日本語となるには千年の年月を必要としたわけです。

2014年11月15日公開。

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