書名 | 三善清行の遺文集成 |
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副題 | |
シリーズ名 | |
著者 | 所 功(ところ いさお) |
出版社 | 方丈堂出版 |
出版年次 | 平成30年(2018年) |
ISBN | 9784892312045 |
定価(税抜) | 1,100円 |
著者の紹介 | 訓読解説者(1941-)は、京都産業大学名誉教授。三善清行、菅原道真などに関する研究のほか、宮廷儀式や年号の研究がある。 |
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本の内容: 本書は現在確認しうる三善清行の全遺文を収録したものです。語釈や現代語訳はなく、原文と訓読文だけのシンプルな構成ですが、訓読文にところどころ括弧付で注を入れて理解しやすく工夫されています。 三善清行(みよし・きよゆき、847-919)は、平安時代の文人政治家で、菅原道真の同時代人であり、下級官吏として地方へ赴任したあと、五十代で文章博士となりました。菅原道真とは対立する左大臣・藤原時平側の学者として、道真失脚の遠因になったともいわれる道真への辞職勧告文「菅右相府に奉る書」を書いています。そして道真失脚後、大学頭に任じられ、『日本三代実録』『延喜格』『延喜式』の編纂に携わっています。 そして延喜14年(914年)に、醍醐天皇から公卿・学者らへ意見が徴収されたことに伴い、68歳の清行が心を込めてまとめ上げたのが『意見十二箇条』です。これは古来名文とされ、『本朝文粋』巻二に採録されています。頼山陽の『日本外史』では巻一冒頭に「三善清行の封事に、宿衛・豪横の患(うれえ)を述べたるを読むに及びて、乃(すなわ)ち知る、制度の弊、其の来たるや久し」と言及され、『意見十二箇条』にすでに宿衛舎人(宮中の護衛兵士)がわがまま勝手な行いをしていることが述べてあるのを見て、朝廷の大権(兵権)が武士に移る原因はすでに平安初期にあった傍証としています。 斎藤拙堂の『拙堂文話』には『意見十二箇条』について、「其の文排偶の習を免れずと雖も、然れども気象渾健にして詞の意を害せざるは、亦た陸宣公の亜なり。」(その文章は駢文の悪習を免れていないが、意気軒昂で作為的悪弊に堕していないのは、唐の陸贄 (りくし)に次ぐものである)とし、「王朝に文章無し。三善の封事有るのみ」(『拙堂文話』1-14~1-16)とまで賞揚しています。 筆者はこうした山陽・拙堂の記述に導かれて、初めて『意見十二箇条』を読みました。四六駢儷文(駢文)といわれる対句を多用する装飾的な文体で書かれていますが、当時存在した様々な弊害を列挙して、憂国の思いから真摯に解決策を提案しており、その惻々たる心情が伝わる名文であり、たしかに駢文の作為を感じさせません。 道真のような家集をもたない三善清行の詩文の多くは散佚してしまい、本書に収録された僅かな詩文が現在読めるすべてです。それらをまとめた本書の出版はとても有難いことです。 | |
2021年1月31日公開 |