日本漢文の世界:本の紹介

書名 漢文の語法
副題  
シリーズ名 角川ソフィア文庫
著者 著者:西田 太一郎(にしだ たいちろう)
校訂者:斎藤希史・田口一郎
出版社 KADOKAWA
出版年次 角川ソフィア文庫版は令和5年(2023年)、原版は昭和55年(1980年)の発行。
ISBN 9784044006341
定価(税抜) 1,620円
著者の紹介 著者(1910-1982)は京都大学名誉教授。法学博士。漢文関係の著書に『漢文入門』(岩波全書、共著)、『角川新字源』(共編)などがある。
校訂者は両名とも東京大学教授。
所蔵図書館サーチ 漢文の語法(角川ソフィア文庫 ; E202-1)
Amazonへのリンク 漢文の語法 (角川ソフィア文庫)
本の内容:

 本書は漢文法の解説書で、もともとは「角川小辞典」の一冊として刊行されていたものです。多くの用例(「文例」と称している)に一つ一つ訓点を附し、訳文と解説を付けています。文例は主として漢代以前の古文を中心としています。
 本書は漢文法解説書として高い評判を得ていたにもかかわらず、「角川小辞典」シリーズが絶版になってからは、長らく入手が困難になっていました。
 このたび本書が文庫本として復刊されたことには、たいへん驚きました。この本の内容を小さな文庫サイズに収めることは困難ではないかと思ったからです。しかし実際に手に取ってみると、驚いたことに文庫サイズの新版のほうが四六版の旧版よりもはるかに読みやすいのです。
 新版では大きな活字を使い、改行が多くなっているのが、読みやすくなった大きな要因です。旧版は「辞典」という位置づけの本だったためか、活字がたいへん小さくて読みづらかったのです。また、今回の復刊で電子版も出たのはうれしい限りです。電子版の良いところは、検索が容易であることで、文法書などではとくにありがたいものです。
 著者の西田太一郎氏は、漢文法の解説を少なくとも3種類書いています。一番簡潔なのが、岩波全書の『漢文入門』(1957年)の第一部序説の中にある「語法概説」です。わずか20数ページの中に漢文法のエッセンスが凝縮されており、これを読めばあるていど漢文が読めるようになるというすぐれた概説です。そのもとになっているのが『漢文法要説』(朋友書店、原版は1948年東門書房版)で、160ページほどの分量。いちばん充実しているのが本書『漢文の語法』(1980年)で、旧版は小さな活字で460ページほどでしたが、新版の文庫本(紙版)は700ページを超えています。本書のページ数が特に多いのは、文例の数が多く、解説部分が非常に充実しているからです。
※このほかに『重要漢文語法便覧』(中央図書、1967年、福島昇氏との共著)という高校生向け参考書があります。これも基本的には『漢文法要説』の内容をもとにしていますが、当時の高校のカリキュラムに沿って返り点や再読文字などの項目を設け、また練習問題に多くのページを割いています。全体の分量は160ページほどです。
 これらの本における漢文法の解説方法は一貫しており、まず文例を掲げ、ついで文例を訓読し、字句や語法、訓読に関する解説をつけるというものです。
 著者は先人の業績に敬意を払い、取るべきところを取っています。中でも江戸時代の学者・釈大典の『文語解』『詩語解』の説を特に重視して頻繁に引用しています。日本の学者の本は、ほかには松下大三郎の『標準漢文法』を引用しているくらいですが、中国の本は、劉淇の『助字弁略』を特に重視して何度も引用しているほか、王引之の『経伝釈詞』、王念孫の『読書雑誌』、楊樹達の『詞詮』、裴学海の『古書虚字集釈』、呂叔湘の『文言虚字』、楊伯峻の『文言虚詞』、馬建忠の『馬氏文通』、黄六平の『漢語文言語法綱要』、王力の『古代漢語』などを引用しています。(本書自体が半世紀前の本なので、引用書目も当時参照できたものに限られています。今日の読者はその点に注意が必要です。)
 語順と助字(虚詞)の用法を重視し、品詞分類について独立した項目を立てず、必要に応じて説明するというスタンスは『漢文法要説』以来一貫しています。
 本書の構成は、基本的には『漢文法要説』の文法項目と同じですが、同書との違いは、解説部分の圧倒的な詳しさにあります。この解説部分は著者の研究メモを公開したものと思われ、著者が「ああでもない、こうでもない」と考察した過程が手に取るように分かります。この解説部分こそが本書の魅力です。
 例えば、本書の第16節「倒装法」には、「何為」についてつぎのように解説しています。
〇公羊伝隠公元年三月の「曷為或言会或言及或言曁 [曷為 或いは会と言ひ、或いは及と言ひ或いは曁(き)と言ふか] 」の釈文に「曷為如字。或于偽反。後皆同此 [曷為は字の如し。或いは于偽(うぎ)の反(かへし)。後皆此に同じ] 」という。これは曷為(何為と同じ)の場合の為の発音を示したものである。如字(字のごとし)とは普通の読み方をすること。つまり平声(ひょうしょう)で、現代音ではwéi「なす」の意。于偽反のときは去声、wèi「ために」の意である。したがって訓読では「なんすれぞ」「なんのために」の二種の読み方が可能であったが、多く「なんすれぞ」と読みならわされて来ている。中国では王念孫※ママ※の経伝釈詞は「為猶以也。 [為は猶(なほ)以のごとき也] …胡為・曷為・何為、皆言何以也 [胡為・曷為・何為、皆何を以てを言ふ也] 」といい、一見「何の為に」と解しているように見えるけれども、「謂」の条を見ると、「謂猶為也 [謂は猶(なほ)為のごとき也] 」といい、この為を平声に読むのと去声に読むのと二つの場合をあげ、平声に読む場合の方に「何為」「胡為」の例をあげている。すると王引之が何為を何以と同じだといったのは意味の上でのことで、為をタメニと読むことを説いたのではない。ところが楊樹達の詞詮では「介詞、因也」といい、タメニと解しているようであり、中国に同様の説をなす者が多い(日本の中国語学者にもこの傾向がある)。しかし黄六平の漢語文言語法綱要のごときは「人而無儀、不死何為 [人にして儀無くんば、死せずして何をか為さん] 」(詩経、鄘風、相鼠)をあげ、「何為はのちに熟語となり、為の字の動詞的意味が弱化し一つの襯字(そえじ)となり、習慣上、何為を動詞の前に用いる」として「今戦而勝之、斉之半可得、何為止」(史記、淮陰侯列伝)、「何為貶之也」(穀梁伝、隠公四年)を例にあげている(116ページ)。これを見ると、何為を平声に読むのが伝統的慣習で、日本人が従来ナンスレゾと読んで来たのもその習慣に従ったものと思われる。なお動詞の「為」は古くはたとえば「見義不為無勇也 [義を見てせざるは勇なきなり] 」(論語、為政)と読むように「す」のサ行変格の活用形で読まれたが、今では一般に「なす」の活用形で読む。「何為 [なんすれぞ] 」や「客何為者 [客なんする者ぞ] 」(史記、項羽本紀)などは古い読み方のなごりである。(本書166-168ページ)

筆者注:「※ママ※」と書いたところの「王念孫」は「王引之」です。『経伝釈詞』は王引之の著書。(王念孫は王引之の父親)
 また、本書では、第30節「被動」の「K 見の字の特異な用例」で、「見」を「われ(我)に」と訓読することを提案するなど、従来の訓読にあきたらず、「特異な訓読」を提案しているところがあります。(本書346ページ以下)ここでは省略しますが、著者は長い解説でその考察過程を示しています。しかし、最後には、あくまで便宜的に、従来のように被動(受け身)で訓読することも許容しており、提案した「特異な訓読」を押し売りするわけではありません。

 かつて角川書店には、著者に紙数や体裁の制約を気にせず自由に書いてもらうという文化があり、「日本古典評釈・全注釈叢書」などの驚くべき企画がそうした文化から生まれました。「角川小辞典」シリーズでも著者たちは書きたいことを自由に書いているのがうかがわれます。本書も著者が好きなように書いた会心作だったのではないでしょうか。
 本書の解説部分を電子版で文字を大きくしてじっくり読んでいると、本書がかつて一般向けの本として出版されていたことが信じられない思いになります。それにしても、このような重厚な本をよくぞ再刊してくださったものです。KADOKAWAならびに関係者の皆様に感謝しつつ楽しみたいとおもいます。

2024年12月7日公開

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