書名 | 都繁昌記註解 |
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副題 | |
シリーズ名 | 太平文庫41 |
著者 | 原著者:中島 棕隠(なかじま そういん) 訓注者:新稲法子(にいな のりこ) |
出版社 | 太平書屋 |
出版年次 | 平成11年(1999年) |
ISBN | |
定価(税抜) | 5,000円 |
著者の紹介 | 原著者(1780-1856)は幕末京都の漢詩人 訓注者(1963-)は日本漢詩文の研究者。佛教大学非常勤講師。 |
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本の内容: 『都繁盛記(みやこ・はんじょうき)』は名高い本ですが、訓読や語釈を施した注釈書は、本書が唯一のものであるようです。 『都繁盛記』の作者・中島棕陰は京都の民間の儒者であり、風流をもって知られ、詩をよくしました。その詩は、入矢仙介氏の著書『中島棕陰』(研文出版)を見ていただくとよいでしょう。入矢氏は同書の「おわりに」で『都繁盛記』にも触れて「京都の暗黒面を漢文で暴露した奇書。文化の爛熟した時代、都市にはこのような書物が作られるものらしく、大革命前夜のパリ、モスクワなどにもある。」(同書190ページ)と言っていますが、肝心の『都繁盛記』の内容については一切触れていません。あえて触れたくなかったのだと思います。 中村信一郎氏の『頼山陽とその時代』(中央公論社)には、『都繁盛記』の内容が簡潔に紹介されています。私も中村氏の本で本書の存在を知りました。中村氏は『都繁盛記』を俗悪な糞尿趣味ととらえていて、けっして好意的には紹介していません。中村氏も指摘しているとおり、『都繁盛記』の内容は乞食、糞尿処理業者、芝居小屋関係者という、当時の社会の底辺に位置する人々の生態に焦点を当てた内容であり、描写に下品な部分があるので、中村氏は嫌悪感をもったようです。中村氏の記述を少し引用します。 ところで本文は、「乞食」「担尿漢(セウベントリ)」「劇場」の一二部に分れ、この三つの方向から、当時の京都の繁昌、あるいは「不繁昌」を描き出す。犀利な風俗観察と辛辣な諷刺とを身上とする、サチリックな産物である。しかし、棕隠には静軒に見るような、江戸風の洒脱さというものは毫末もなく、代りにあるのは陰湿で執拗な悪趣味である。そのユーモアは悪謔となり、そのレアリスムは糞尿趣味となる。京都の都市文明を謳歌するのに、乞食やおわいやの観点からするというのも、冗談が過ぎる。(中村信一郎『頼山陽とその時代』221ページ下段) 要するに、美人と吝嗇と糞尿とが、この戯文を通している三つの主題なのである。粋人文吉の心の奥には、中学生的くそレアリスムが潜んでいた。(中村信一郎『頼山陽とその時代』222ページ上段)これは文字通り酷評といってよいでしょう。 また、森銑三氏は中島棕陰の伝記『好事儒者中島棕陰』に『都繁昌記』を評して次のように言っています。 『都繁昌記』は、『鴨東四時雑詠』と共に、棕陰の著作中最も広く行われているものである。精しく解説するを要しない。この書は、題名の示す如く、寺門静軒の『江戸繁昌記』を模して、漢文を以て京都の繁栄を叙したものだった。自序の中にも「且倣近来静軒居士所著江戸繁昌記、冒其名、仮其威者、而一出書肆射利之勧、一出自家為飯籮所駆之不得止」云々と明からさまに断っている。序文には「天保丁酉十月」とある。丁酉は八年である。それより間もなく刊行せられたのであろう。書物には因果居士の匿名を以てして、棕陰の名を顕さない。但し私の今座右に置いている慶応三年の補刻本には、見返しに「中島棕陰軒編集」と明示せられている。奥附には「次編三編追刻」と見えているが、二編以下はついに刊行されなかった。これも酷評です。このように『都繁昌記』に対する世の識者の評判は芳しくありません。ただ、本注釈書巻末の「書誌」にもあるとおり、『都繁盛記』はいくつかの異なる版があり、それぞれ版を重ねたと考えられています。つまり、当時の読者は本書をけっして忌避していたわけではなく、それなりに読んでいたということです。しかし、森氏も指摘するように続編が出るほどには売れなかったのでしょう。(広告が出ているからには、続編の原稿はできていたのでしょうが、散佚したものと思われます。惜しいことです。) 森氏が「説明多く、描写に乏しく」と言っているとおり、静軒の『江戸繁昌記』や柳北の『柳橋新誌』の生き生きとした描写を読んでから本書をひもとくと、躍動感がなく、平板で面白みのない文章だと感じます。本書はつまり『江戸繁昌記』『柳橋新誌』などの漢文戯作の系統に連なるものではなく、一種の(悪趣味な)記録物なのです。作者・中島棕陰は、これにわざと「繁昌記」のタイトルをつけ、序文でも『江戸繁昌記』に倣ったと述べていますが、読者を欺く羊頭狗肉です。ただ、ここに記録された乞食や、くみ取り業者などのいわば都市底辺生活者の実態は、一般的に記録に残りにくいものであり、『都繁盛記』が貴重な記録であることは間違いありません。そういう視点から読むと、なかなかに興味ぶかい書物ではあります。 本注釈書は、原本の影印を掲載し、次に訓読と語釈、最後に解説を付するという形式になっています。注釈には番号は付けず、訓読文の右側に傍線を付し、対応する注釈を後部にまとめて置く形式になっており、訓読文との対照しやすく考慮されています。注釈はていねいで、同時代の他書からの引用も多く、ところどころ図も入っています。『都繁盛記』に記録された当時の風俗は現代とは全く異なるため、注釈書がなければ正しく理解することはできません。けっして評判の良くない『都繁盛記』に、このようなすぐれた注釈書が存在する意義は大きいのです。 | |
2022年8月31日公開 |