日本漢文の世界:本の紹介

書名 漢学者はいかに生きたか
副題 近代日本と漢学
シリーズ名 あじあブックス018
著者 村山 吉廣(むらやま よしひろ)
出版社 大修館書店
出版年次 平成11年(1999年)
ISBN 4-469-23158-4
定価 1,800円
著者の紹介 著者(1929-)は、早稲田大学の教授で、中公文庫の『論語名言集』など、多くの啓蒙的な著書を出版されています。
本の内容:

漢学者はいかに生きたか―近代日本と漢学 (あじあブックス)

 漢学者の生涯をエピソード中心に書いたもので、興味深く読める本です。選ばれている漢学者の顔ぶれも異色です。まずは、この本で取り上げられている漢学者たちを見てください。

(1)根本通明(ねもと つうめい) 江戸から明治にかけての易学の大家。明治初期に東京帝国大学で易を教授しました。ケーベル博士が絶賛した人です。
(2)中島撫山(なかじま ぶざん) 作家中島敦の祖父。埼玉県に家塾「幸魂教舎」をつくり、地方教育に一生をささげました。
(3)中野逍遥(なかの しょうよう) 漢詩に燃える恋を読み込んだ異色の詩人。その詩は島崎藤村や津田左右吉に愛されました。
(4)中村敬宇(なかむら けいう) 『西国立志篇』の訳者。『西国立志篇』は、福沢諭吉の『学問のすすめ』とともに明治初期のベストセラーとなりました。
(5)桂湖村(かつら こそん) 森鷗外の漢詩の師。『漢籍解題』の著者。早稲田漢学の立役者の一人です。この項では、あわせて菊地晩香や松平天行ら早稲田漢学の学者たちを紹介しています。
(6)小柳司気太(おやなぎ しげた) 道教研究の先駆者。無我無欲で学会の仙客と呼ばれた人です。
(7)宮島大八(みやじま だいはち) 中国語教育の先駆者。書家としても有名です。日清戦争前に中国に留学し、中国音によって古典をきたえた人です。官途をきらい、民間教育機関の善隣書院を設立しました。
(8)簡野道明(かんの みちあき) 漢和辞典『字源』の著者。多くの著述があり有名ですが、伝記は知られていませんでした。


 このなかでも特に異色なのは、中野逍遥です。彼の漢詩は、島崎藤村の『若菜集』の中に引用され、それによって名前は知られていましたが、いかなる人であったかは、ほとんど知る人もなかったのです。
 中野逍遥は、東京帝大で重野成斎の指導を受けた青年学士でしたが、友人である歌人・佐佐木信綱の弟子であった、南条貞子という令嬢に激しい恋心を抱きます。そして、その思いを綿綿と漢詩に綴りました。それらの作品は、はじめて漢詩の形式で純愛を表現したもので、近代詩と呼びうるものとなりました。ところが貞子さんは逍遥の激しい恋など露知らず、親の勧めにしたがって、某弁護士に嫁いでしまいます。逍遥は、貞子さんは死んだものとあきらめ、貞子さんの故郷を訪れて哀傷の詩を作り、ついに絶望のあまり病気になって死んでしまいます。享年二十七。彼の残した漢詩は、青年詩人島崎藤村や、新進学者津田左右吉の愛唱するところとなり、現在も多くの人びとに愛されています。
 このように漢学者たちの異色の人生が、エピソードを中心に縦横に綴られています。これは、近代漢学史の一部として面白いばかりでなく、明治以後の近代化の中で懸命に生きた男たちの話としても面白いものです。
 著者は「歴史は足で書く」主義で、登場人物すべての出生地を訪ね、郷土史家や古老から話を聞いて本書を作ったそうです。そのようにして発掘された多くのエピソードにより、漢学者たちの人生がいきいきと描かれています。好著であります。

漢学者はいかに生きたか―近代日本と漢学 (あじあブックス)
2001年9月9日公開。

ホーム > 本の紹介 > 漢学者はいかに生きたか(村山吉廣著)

ホーム > 本の紹介 > 漢学者はいかに生きたか(村山吉廣著)