日本漢文の世界:本の紹介

書名 江戸の読書会
副題 会読の思想史
シリーズ名 平凡社選書
著者 前田 勉(まえだ つとむ)
出版社 平凡社
出版年次 平成24年(2012年)
ISBN 4-5828-423-2
定価 3,200円
著者の紹介 著者(1956-)は愛知教育大学教授。日本思想史が専門。
本の内容:

江戸の読書会 (平凡社選書)

 江戸時代の学問は漢学であり、その教授法は素読、講釈、会読の三つでした。
 素読とは、先生の読むとおりにテキストを声に出して棒読みにすることで、テキストの細かな意味は理解していなくてもよいとされます。素読については、今日でもその有効性が論じられ、『論語』の素読を復活させようとする試みが各所で行われています。
 講釈とは、現代の大学等における講義と同じで、講師がテキストの意味を詳細に解説するものです。
 会読とは、テキストをもとに出席者が自由な討論を行うもので、今日でいえば大学のゼミのようなものでした。
 この三つの教授法の中で、江戸時代に最も重視されたのは会読でした。身分制の厳しかった江戸時代において、会読は学問の実力だけが試される場であり、藩主と書生が対等に議論することさえありました。本書では佐賀藩において藩主・鍋島閑叟が書生であった久米邦武と対等に議論したエピソードが紹介されています(本書61ページ以下)。
 会読には、「講ずる会読」と「読む会読」がありました。「講ずる会読」とは、先生が参加者の討論を見守り、判定を下す整然としたものでしたが、「読む会読」は参加者が完全に対等で、自由な討論です(本書96ページ以下)。著者はカイヨワ(Roger Caillois)の用語を借りて、「読む会読」は「アゴーン(agon)」(競争の遊び)であるとともに、「ルドゥス(ludus)」(故意に作りだされた困難を乗り越える喜び)であると言っています(本書112ページ以下)。会読という教授方法は、伊藤仁斎や荻生徂徠ら漢学者が始めたものでしたが、その有用性が認識され、次第に蘭学や国学へも広がって、江戸時代の中心的な学習方法として定着します。
 江戸時代の会読ではテキストの読解を対等に競い合うことは許されましたが、政治の議論は厳禁とされるのが常例でした。しかし、幕末には吉田松陰、横井小楠といった人たちが会読の形を借りて子弟に政治教育をし、こうした動きが明治維新へ繋がってゆきます。
 さらに、維新後に自由民権運動があれほどの盛り上がりを見せたのは、その運動主体が会読の結社であったためでした。学制が施行された頃は、小学校でも会読が行われており、子供の間でも談論風発の討論が行われていました。これを恐れた明治政府は、大急ぎで欧米式の一斉教授法を採用し、生徒たちを試験で競わせました。そのため会読は急速に廃れ、忘れられてしまいました(本書352ページ)。そして、「勉強」とは「立身出世」のために一人で机に向かってやるものになり、会読の持っていた自発性は完全に失われてしまったのです。
 本書は、今や歴史のかなたに忘れ去られた「会読」が、いかなるものであったかを明らかにした、貴重な成果です。「学級崩壊」や「いじめ」が問題化している今こそ、「会読」を見直す必要があるのではないでしょうか。「素読」で満足している場合ではありません。

江戸の読書会 (平凡社選書)
2014年11月15日公開。

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