日本漢文の世界:本の紹介

書名 中国古典講話
副題  
シリーズ名  
著者 倉石 武四郎(くらいし たけしろう)
出版社 大修館書店
出版年次 昭和49年(1974年)
ISBN 9784469230154
定価(税抜) 1,800円(品切れ)
著者の紹介 倉石武四郎博士(1897-1975)は、中国語教育界の最大功労者です。先生の幅広い業績については、先生ご自身が『中国語五十年』(岩波新書)に一代記を書いておられますので、そちらを参照ねがいます。
 なお、2002年になって、京大助教授時代の留学日記が『倉石武四郎中国留学記』と題され、中国の中華書局から出版されたことは特筆に値します(ISBN7-101-3284-2)。
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本の内容:

 本書は、古い本ですが、中国語の音読によって中国古典を読もうとする人にとって、現在でも最高のテキストです。つまり、最高の著者による最高の解説書です。
 本書で取り上げられた古典は、詩経・論語・荘子・列子・墨子・孫子・管子・孟子・荀子・礼記・韓非子・左伝・国語・戦国策・楚辞・呂氏春秋・史記・漢書・古詩・古楽府の20種におよびます。それぞれについて、簡単な改題があり、その中から任意の一部分を引用して、ピンイン(中国語発音ローマ字)を付し、内容や背景を詳しく解説しています。
 倉石先生の解説は懇切丁寧の一語に尽きます。実例として、本書124ページ以下に載っている『戦国策』の、曽子の母が、曽子が人を殺したと聞いて、2度までは信じなかったが、3度目には信じ、恐れて逃げだしたという有名な話の、末尾の部分を引用します。
其母懼, 投杼踰墻而走。 Qí   mŭ   jù,    tóu   zhù   yú   qiáng   ér   zŏu.

 これは意外です。さすがのおっかさんも自信がくずれました,ゾッとしたのです。曽子の母はおそろしくなって(中国では昔から人を殺害するというのが何よりもおもい罪で,おそらく一族肉親にも罪がおよぶとおもいます),手にもっていた機織のための杼(<ひ>といって糸をひっかける道具)をほうりだし,家の垣根をのりこえて逃げました。ちゃんと玄関もあろうのに垣根をのりこすのですから,あわてふためくさまが目にみえるように描かれているではありませんか。日本でむかし出版された<戦国策正解>というテキストがありますが,それには“其母懼投杼。踰墻而走"となっていますが,わたくしははじめにあげましたように,其母懼でちょっと切ってから投杼踰墻而走というふうにしておきました。というのは懼というのは心の問題です。ハッとなったことです。それを描写するには単音節が一番です。そこでハッとして,そのあとは無意識の動作ですから,それはおなじ比率で投杼と踰墻がならべてあり,それがやがて走に通ずる,ということが,この文をかいた人の気分であり,これをよむには,それに応じたよみかたがなくてはたりません。<正解>の作者にかぎらず,ながいあいだ,日本人はすべて訓読というゴマカシの方法で漢籍(中国古典)をよんできました,よんだつもりで,すましていました。はたして,こういうところで,尻尾を出しているのです。
 わずか一行の原文に対して、これだけの解説を書かれているのは、何とか読者に中国古典をわからせようという先生の親切心がそうさせるのでしょうか。まことに頭の下がることです。
 なお、蛇足ですが、本書以後に出版された複数の注釈書で、この部分の句読が依然として「其母懼投杼、踰墻而走。」となっていることを指摘しておきたいと思います。これには倉石先生がおっしゃるような、訓読だけにたよる罪ということも、たしかにあるかもしれません。
 こうした懇切なる解説の中に、さりげなく先生ご自身の中国留学時代の体験とか、安井小太郎など、先生が昔教えを受けた高名な先生方の話がでてきます。また、上に引いた部分にも『戦国策正解』(横田乾山著、安井息軒補正)が引用されていますが、倉石先生は邦人の注釈もよく読みこまれており、他にも韓非子の太田全斎注(『韓非子翼毳』)、管子の安井息軒注(『管子纂詁』)などに言及されています。わが国の漢学の伝統にも目配りがされているのです。
 このように、本書は中国古典にピンイン(中国語発音ローマ字)をつけただけの本ではなく、総合的な中国古典文学案内になっております。これはまさに倉石先生にしか書き得なかった本です。

2003年11月16日公開。

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