書名 | 漢文と東アジア |
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副題 | 訓読の文化圏 |
シリーズ名 | 岩波新書 |
著者 | 金 文京(きん ぶんきょう) |
出版社 | 岩波書店 |
出版年次 | 平成22年(2010年) |
ISBN | 9784004312628 |
定価(税抜) | 840円 |
著者の紹介 | 著者(1952年-)は、京都大学人文科学研究所教授(中国文学専攻)。『三国志演義の世界』(東方書店)、『老乞大一朝鮮中世の中国語会話読本』(平凡社東洋文庫)などの著訳書があります。 |
所蔵図書館サーチ | 漢文と東アジア : 訓読の文化圏 (岩波新書 ; 新赤版1262) |
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本の内容:
なぜ古代日本において、外国語である漢文に対して、当然のように日本語による「訓読」が行われるようになったのでしょうか。これは大きな謎です。 古代日本における漢文訓読は仏教の影響で始まった、と著者は喝破します。古代日本で漢籍の学習が始まったのは、仏教を学びたいというやみがたい情熱によるものですが、漢文訓読も同じく仏教への情熱から始まったというのです。 釈迦仏は、「仏説は、すべての言語、文字で表現される」(『大般涅槃経』、本書35ページ)と説きました。これが訓読に漢文の本文と対等の地位を与える根拠となります(本書41ページ)。これは、古代中国で行われた梵文から漢文への仏典翻訳の過程とそっくりの作業でした(本書34ページ)。 このようにして生まれた漢文訓読法は、当初は翻訳的機能が重視され、助字はほとんど「置き字」として読み飛ばされていました。しかし、江戸時代初期に朱子学が導入されると、「聖人の語」の一字一句をゆるがせにしないため、助字(「而(しこう)して」「也(なり)」など)も読む方法が考案されました(本書64ページ以下)。 一字一句をゆるがせにしないために、荻生徂徠のごとく、中国語音で漢文を音読する人もあらわれましたが、江戸時代には中国語を学ぶことは困難で、訓読を排することは不可能でした(本書78ページ)。一方、お隣の韓国では、知識人は中国語にも精通していたたため、なし崩し的に漢文訓読がすたれてしまいました(本書106ページ)。 本書は、日本と同じような漢文訓読は、韓国やベトナム、契丹、ウイグル等の中国の周辺国にもあったことを実例をもって示しています。日本の訓読のように確立された方法ではなくても、今も各国でほそぼそと訓読は続けられているそうです。そのようないろいろな読み方を許容する漢文の懐の深さには、感心するばかりです。 | |
2012年4月30日公開。 |