書名 | <教養>は死んだか |
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副題 | 日本人の古典・道徳・宗教 |
シリーズ名 | PHP新書 |
著者 | 加地 伸行(かじ のぶゆき) |
出版社 | PHP研究所 |
出版年次 | 平成13年(2001年) |
ISBN | 9784569617053 |
定価(税抜) | 740円 |
著者の紹介 | 著者(1936-)は、『儒教とは何か』(中公新書)、『沈黙の宗教―儒教』(筑摩書房)などの儒教論で知られる中国哲学研究者。大阪大学名誉教授。 |
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本の内容:
教養の本質は、知識ではなく人格の涵養にあります。しかし、近代以降わが国では知識の蓄積だけを求めて、人格の面を閑却してきました。そのために、人間に深みがなくなり、社会に歪みがでてくるのです。 本書は、わが国から真の教養が失われていることを憂え、その再興のためには何をしたらよいかを考察した、著者渾身の書です。どの論説も一読に値しますが、当サイトとしては、やはり漢文再興を論じた第二部「漢文は死んだか」にもっとも共鳴いたしました。なかでも第4章の中にある「漢文朗読のすすめ」は示唆に富んでいます。 著者は、高校生(新制高校)のとき漢文の授業で、雫石鉱吉(しずくいし・こうきち)という先生の朗読にはじめて接します。その朗読は「なんともいえないすばらしい抑揚で、詠ずるがごとく、謡うがごとく、切切たるものがあった」(本書100ページ)。この感情移入した朗読法が、塩谷温(しおのや・おん)氏の流れを引くものであることを知った著者は、その流れを受け継ぐ鬼頭有一(きとう・ゆういち)氏に漢文の朗読を録音してもらいます。この録音テープは福田恆存氏も愛聴していたそうです。塩谷温氏は戦前の東京帝国大学教授で、江戸時代の有名な学者・塩谷宕陰の曾孫にあたります。だから、この朗読法は昔の漢学塾の朗読法を伝えたものと考えられます。 また、著者が台湾に留学したとき、師事した中国人教授は中国古典を感情移入して詠ずるように読みました。著者はこの朗読法をマスターして、帰国後、中国古典を講ずるとき、感情移入した中国語朗読を行ったそうです。これはもしかしたら昔の桐城派などの朗読法を伝えたものかもしれません。 さて、著者は漢文訓読について、次のように言っておられます。 訓読・音読の優劣論は今日ではあまり意味がない。むしろ逆に言えば、中国語の下手な発音で漢文を読んでも、それは音をなぞっただけのことである。それくらいなら、内容の諒解の下に、感情移入して訓読するほうがずっと作者の気持ちに近づけるであろう。(101ページ) 漢文はやはり外国語であるから、日本人にとってその内容を精細に理解する方法としては訓読が最もすぐれている。日本人が漢文をいきなり現代中国語の音声で読んでも中身がすぐ分かるわけではない。訓読によって理解し了えたあとであれば、すでに内容が分かっているのであるから、感情移入ができる。その朗読の方法が、日本語に基づく訓読による鬼頭節であろうと、現代中国語に基づく音読による加地節であろうと、そこに差はない。 この訓読であるが、歴史上、日本人の発明の内、五指の一つに屈してよいものではないかと思っている。難解な漢文を日本語化する技術であるが、この方法によって大量の中国文献を翻訳してきたのである。(103ページ)訓読と中国語による音読の両方を極めた著者のことばは、非常に説得力があります。要は内容の理解がもっとも重要であり、感情移入して読んでこそ、真の朗読であるということです。 | |
2003年11月16日公開。 |