日本漢文の世界:本の紹介

書名 漢文法基礎
副題 本当にわかる漢文入門
シリーズ名 講談社学術文庫
著者 加地 伸行(かじ のぶゆき)
出版社 講談社
出版年次 平成22年(2010年)
ISBN 9784062920186
定価(税抜) 1,650円
著者の紹介 著者(1936-)は、『儒教とは何か』(中公新書)、『沈黙の宗教―儒教』(筑摩書房)などの儒教論で知られる中国哲学研究者。大阪大学名誉教授。
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本の内容:

 本書は「漢文法基礎」と銘打ってありますが、「漢文法」の解説書というよりは、訓読によって漢文を学ぶための、漢文入門書です。
 豊富な内容からは信じがたいことですが、本書はもともと昭和40年代にZ会から出版されていた受験参考書だったらしいのです。今回は、受験参考書ではなく、一般書(しかも安価な文庫本)として復刊されたことで、私たち一般読者も読めるようになったことは、歓迎すべきことです。
 本書「あとがき」によれば、昨今は大学入試における漢文のウェイトが下がり、分厚い参考書を読む受験生も減ったので、長く絶版にしていたところ、ネット上での復刊希望が多かったので復刊したとのこと。また、「まえがき」によると、本書の執筆の動機は、当時の受験参考書のあまりにもひどい内容に憤慨してのことだったそうです。
 このように「受験参考書」にしては、志の高いものであるためか、「基礎」と題しながら、かなり高度な内容も盛り込まれています。たとえば、次のようなところです。
 ところが、漢文を訓読する場合、この形容動詞というものは不要なのである。橋本文法の他の有力な文法学説として、時枝誠記の時枝文法というものがあるが、この時枝文法では、形容動詞というものを認めない。いわゆる形容動詞というものの語幹と語尾とを分離してしまうわけである。例えば、「堂堂たり」は、「堂堂」と「たり」に、「賢明なり」は、「賢明」と「なり」に分離する。つまり、名詞・助動詞(たり・なり)とに分けるということである。漢文訓読の場合、この時枝文法と同じ方法をとるのである。「賢明なり」「堂堂たり」においては、「なり」「たり」の活用は、助動詞としての活用とみなす。その際、形容動詞などとは意識されない。例えば「異なり」は、「異(こと)」という名詞と、「なり」という助動詞との合成と考えるのが、ふつうなのである。
 形容動詞と言われている品詞は、漢文訓読で認めないほうが賢明である。このことがはっきりとしていないために、例えば、「異なり」と読むところを、「異なれり」と読む人がいる。この末尾の「り」は完了の助動詞「り」で、「なれ」は形容動詞「異なり」の命令形ということになる。しかし、「異なり」と断定で終わるべきところを、あえて完了の助動詞を加える必要がない。と言うよりも、「異なれり」と読むと、「異なってしまう」或いは「異なってしまった」という感じになり、単なる事実の相違を示す「異なり」という感じと、それこそ異なってしまいかねない。オーソドックスな漢文訓読では、必ず「異なり」と読む。その際の「なり」の意識は、「……なり」という断定の助動詞としての意識である。「異」は名詞としての意識なのである。(本書140~141ページ。以下略)
 このような、普通の漢文訓読解説書に漏れていることが、蘊蓄として語られている部分がたくさんあり、とても参考になります。
 ただ、本書は高校生に読ませる工夫なのか、饒舌体で書かれた見苦しい部分が数多くあります。復刊にあたっては削除すべきでした。以下に一例をあげておきます。
 中国語には音楽性がある。しかしこの話、かなりでたらめなところがある。例えば或る大学の先生が、どこかの随筆にこんなことを書いていた。「北京の空は青い。『青』の発音、〈チーン〉という澄みきった音のそのように美しい……」てな調子であった。ここを読んで思わず大笑いしたなあ。(中略)だから中国語の音楽性と言うとき、やたらに「チーン」「カーン」「ポコペン」というのを指すのは、やはりまちがいだなあ。だって君ィ、英語なら「ブルー」というじゃない。「チーン」が音楽的というなら、「ブルー」だってその権利あるわな。しかし「ロンドンの空は青かった。ブルー」なんて言うかよバーカ。
 なお、本書の文法説明には疑義が多いと成田健太郎氏(京大准教授)が指摘されていることを付記しておきます。(2021/12/31追加。)
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『漢文法基礎』存疑  

2012年4月30日公開。2019年10月19日一部修正。2021年12月31日一部追加。

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