日本漢文の世界:本の紹介

書名 漢字字体史研究
副題
シリーズ名
著者 石塚 晴通(いしづか はるみち)編
出版社 勉誠出版
出版年次 平成22年(2010年)増補改訂版
ISBN 4-58528-008-1
定価 8,000円
著者の紹介 18名の著者による共著v
本の内容:

漢字字体史研究

 本書は、石塚晴通氏を中心とするグループが構築したHNG(漢字字体規範データベース)に関する論文集です。
 HNGは、初唐の写本、開成石経、宋版、日本や韓国等の写本などから楷書の字体資料を集積したもので、2004年インターネット上に突如出現しました。しかし、このデータベースがどのような経緯で作られたものか、私を含め一般利用者には長い間不明でした。本書の出現により、HNGが作られた背景や経緯が明らかとなり、利用のヒントを得ることもできるようになりました。かつて故江守賢治先生が『字体辞典』(1986年)で指摘し、多くの人びとに衝撃を与えた楷書の字体の変遷が、HNGの膨大な資料で裏付けられ、多くの研究者により更に精緻に検証されつつあることに瞠目します。

 本書において、編者の石塚氏は、漢字の字体に関する述語を次のように定義します(本書2ページ)。

(1)書体:漢字の形に於て存在する社会共通の様式。多くは其の漢字資料の目的により決まる。楷書・草書等
(2)字種:社会通念上同一のものと認識され、一般的に音韻と意味が共通する相互交換可能な漢字字体の総合
(3)字体:書体内に於て存在する一々の漢字の社会共通の基準
(4)字形:字体内に於て認識する漢字の書写(印字)された形そのもの

 これを具体的に例示します。(1)書体の中の「楷書体」で、「絶」という漢字を挙げてみます。(2)字種「絶」の中に、(3)字体「絶」と(3)字体「绝」が含まれます。この二つは、糸偏の形が違います。さらに、(3)字体「絶」の中に、(4)字形「絶」と(4)字形「絕」が含まれます。これは字体としては同じであるが、糸偏の下の部分が三つの点であったり、旁(つくり)の上の部分の「ク」が「刀」のようになっていたりと、微妙な違いに属するものです。

 石塚氏は「汎時代的・汎地域的に正字とか俗字とかいうものが存在するわけではない」(本書1ページ)として、漢字の字体は時代や国による標準があり、それは変遷してゆくものだと述べています。

 楷書体は中国では、(1)初唐書写標準字体 → (2)開成石経標準字体 → (3)宋版((2)の字体の定着) → (4)明朝体((3)の字体のデザイン化) → (5)康煕字典体((4)vの完成形) →(6)現代の簡体字 と変遷しています。
 HNGでは、このうち(1)(2)(3)に属する多数のサンプルと、日本・朝鮮の写本(多くは(1)に属する)を集めています。
 日本の写本の楷書体の多くが(1)に属するわけは、初唐に成立した書写の標準書体が奈良・平安時代のわが国にもたらされて定着したためです。その後、平安後期以降には(2)の字体による(3)宋版が多数輸入され、珍重されたにもかかわらず、「科挙」のないわが国においては、開成石経標準字体は文字文化への影響はほとんどありませんでした。わが国では、江戸時代初期の慶長版において、初めて(2)(3)の字体が全面的に用いられ、『康煕字典』の舶載以後、ようやくその影響力が増してきたのです(本書16ページ)。  逆に中国においては、唐代の新規範である(2)開成石経標準字体が急速に普及し、宋版においても全面的に用いられた背景には、「科挙」の存在がある、と西原一幸氏が指摘しています(本書58ページ)。
 開成石経標準字体の成立には、許愼の『説文解字』研究の流行が大きくかかわっていました。『説文解字』は篆書の字体を論じた書物ですが、規範にこだわる人たちは、楷書でも『説文解字』の解釈どおりの字体を作り出そうと努力したのです。こうしてできた新字体が、「科挙」の字体とされ、科挙用の字様書(字体規範を示した字書)により、またたく間に普及したとのです。
 このような人為的な作字によるもの以外に自然に異体字が生ずる場合もあります。書家である紅林幸子氏は次のように指摘しています(『書体と書法』本書75ページ)。
 異体字出現の起因の一つに、同一書体内における書法の違いが挙げられる。草体化により、点画の連続や時に大胆な省画化が起こり、崩さぬ真書体とは印象の異なる字形が誕生する。書法の違いによって変化した字形が新たな字体として流布し、定着し、やがて異体字としてみなされ、時に別書体として扱われる。金属・石・木・布・紙と書写材料の変化やそれに伴う書写用具の改良、また、書写目的の違いにより書法が変わり、書体を変えていったと考える。

 本書第一部は「字体理論と字体変遷モデル」、第二部は「字体データベース論」、第三部は「字体資料論」、第四部は「字体史研究の方法」、第五部は「字体研究の諸相」で、総勢18名の執筆者による充実した論文集となっています。

漢字字体史研究
2014年11月15日公開。

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