書名 | 私の漢文講義 |
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副題 | |
シリーズ名 | |
著者 | 原田 種成(はらだ たねしげ) |
出版社 | 大修館書店 |
出版年次 | 平成7年(1995年) |
ISBN | 9784469231236 |
定価(税抜) | 2,000円 |
著者の紹介 | 著者(1911-1995)は、大東文化学院在学中から諸橋轍次博士の大漢和辞典編纂事業に協力し、のちに長沢規矩也博士と協力して新明解漢和辞典(三省堂)を完成しました。半生をしるした自伝『漢文のすすめ』(新潮選書)は、昭和初期から戦中戦後にかけての漢文教育界の実情や、大漢和辞典編纂の苦労などを記した貴重な記録です。本書『私の漢文講義』は、著者の遺著となったものです。 |
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本の内容: 「漢文講義」と銘打っていますが、漢文そのものの講義よりも、漢文教育はいかにあるべきかについて、著者の考えをのべた部分がメインになっています。 著者は、「漢文こそ日本の古典」であると主張します。ここでいう漢文とは、日本漢文のことではなく、四書五経・二十四史など中国の古典のことです。これらの古典を、私たちの祖先は訓読法というすばらしい方法を考案して、読解してきました。訓読法を通じて、中国古典はわが国の古典となったのです。 訓読法を用いれば、どんな漢文でも読解できる。中国語で読まなければ漢文の本当の意味は分からないというのは、大きなまちがいである。著者はこの大きな確信のもと、中国からの留学生にも訓読法を教えこみ、彼らもその有効性を理解したといいます。現在、大学の漢文学講座では、中国語による直読と訓読法を併用するのが一般的になっているようですが、著者がここまで訓読法の優位をいいきれるのは、自身の経験にもとづく、訓読法に対する絶対的な自信があるからなのです。 また、純和文の古典でも、漢文口調の影響があるため、漢文を学んでいなければ読解に支障を来たします。著者は『方丈記』の実例をあげて、国語の根幹に漢文があることを示しています。 わが国の古典といえば、和文作品だけがとりあげられており、漢文作品は、『懐風藻』などの古代作品以外は無視されてきました。そして、江戸文学といえば近松・西鶴・馬琴等の庶民文学のことで、漢文学作品は漢詩以外はまったく無視され、古典全集等にも入っておりません。著者はこれに対する不満を述べ、『日本外史』等の文学的価値を高く評価すべき時が来ていると書いています。 | |
2001年9月9日公開。2019年10月19日一部修正。 |