(c)訓読は漢語の文法ではなく、日本語の文法によること。
前項で説明したように、漢文訓読では、すべての漢字を日本式に直訳して読むのが特徴ですが、直訳として当てる日本語(和訓)の品詞は、原文の漢語の品詞とはまったく異なる場合があります。これは、日本語と漢語がまったく別系統の言語であることからすれば、当然のことです。
一例として、「可」「能」「当」など漢語の助動詞が、訓読法でどのように読まれているかを見てみましょう。(「助動詞」を動詞の一種とみて「能願動詞」と呼ぶこともあります)例文は頼山陽の『日本外史』から採ってみます。
漢語の助動詞「可」は、訓読では「べし」と日本語でも助動詞に読みます。
義経 曰 可 下 矣。 (巻三)
1 2 4 3
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(現代語訳)源義経は言った。「(鵯越の崖は)降りることができるぞ!」
漢語の助動詞「能」は、肯定文の場合は、「よく」と読みますから、日本語としては副詞です。しかし、否定文で「不能」となると「あたわず」と読みますから、動詞に読まれていることになります。
微 源氏父子、
2 1
封豕・長蛇 荐 食 上国、
3 4 6 5
誰 能 拒 之。(巻三)
7 8 10 9
⇒
(現代語訳)頼義・義家の源氏父子がいなかったら、大豚・長蛇ともいうべき大悪党・安部貞任、清原家衡らが、上方の国国へ次第に侵攻してきたとして、いったい誰が防ぎ得たであろうか。
法皇 曰、
1 2
雖 朕 不 能 自 保 也。(巻一)
「
4 3 8 7 5 6 9
⇒
(現代語訳)後白河法皇も、「私とても、(平清盛から攻撃をうけたら)自分の安全をたもつことはできない」と仰せられた。
漢語の助動詞「当」にいたっては、「再読文字」と称されており、「まさに○○べし」と読みます。つまり、「まさに」と一度副詞で読んでおいて、あとからもう一度「べし」と助動詞で読むわけです。古代日本の知識人たちは、「当」の字は日本語では二度読むほうが、原文の気分をよく表すことができると考えたようです。
他日 得 志、
1 3 2
吾 王族、 当 為 天子。(巻一)
4 5 6 9 8 7
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(現代語訳)平将門がいうには、「後日計画が成功したならば、私は天皇の子孫だから天皇になるぞ。」
このように漢語としては助動詞に当たる漢字を、訓読の日本語では動詞、副詞、助動詞などいろいろに読んでいます。漢語としての品詞は無視されていますが、日本語として明確に分かるように工夫して読んでいるのです。一見すると滅茶苦茶な方法であるように思えるのは、そのためです。しかし、訓読法は日本語を媒介として漢語を正確に読み解こうと努力した成果であることを強調しておきたいと思います。
2005年3月27日公開。
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