本の内容:
日本文学に使われる漢語を、中国文学での用例にまでさかのぼって意味を突き詰めた本です。
小島先生は、若いころから『文選』を読みこんでおられたそうですが、当時は『文選索引』は出版されておらず、ひたすらページを繰っていたといいます。そうして自然と身についた用例探しの技術が、本書でも縦横に駆使されているのです。
近代人としては森鷗外や中江兆民の漢語が取り上げられていますが、私も鷗外・兆民を愛読しているので、非常に興味をそそられました。
たとえば、中江兆民は中国近世の俗語をよく文中に使用します。本書では兆民先生の愛用語の一つである「除非」を取り上げています。兆民先生は、これを「・・・・を除いて」の意味に使用します。岩波文庫の『三酔人経綸問答』の注では、「兆民の用法は、ふつうの中国語の用法とは多少ずれている。」(同書221ページ)としています。これは、「除非」が、「タダ=只」と訓読されることが多いからです。ところが、小島先生は、「除非」の用例を求めて、わが国の古辞書や白氏文集から始まり、中国の俗語小説や戯曲の用例などを幾十も挙げて、兆民先生の用法はふつうの用法の一つであり、「多少ずれて」などいないことを論証します。中国文学者でも果たしてこれだけの考証をしているでしょうか。
近年、索引や辞書の整備により、語句の検索は非常に容易になりました。しかし、それらに頼りすぎて考証が雑になってしまうこともあります。たとえば、諸橋大漢和辞典にない熟語は「和習」であると即断してしまうようなことです。しかし、実は諸橋大漢和や中国の漢語大詞典も完全とは到底いえず、「和習」の判断は非常にむずかしいのです。本書には、そういう実例も挙げられております。
さて、最近はコンピュータの利用により、さらに語句検索が容易になってきました。大蔵経や十三経の検索もキーひとつという時代です。そういう中でも、安易に慣れて考証を怠ってはならないのです。この本はそういう心構えを教えてくれます。
2002年8月31日公開。