肖像:
伝記:
先生は、塩谷簣山先生(塩谷宕陰先生の弟で、塩谷家を継いだ)の子息で、宕陰先生から見ると3代目に当たります。先生は、幼時から聡明で、家学を受けたあと昌平黌に学び、維新後は芳野金陵、島田篁村、中村敬宇の諸先生に師事しました。
明治6年、簣山先生の没後、家塾で教授しはじめましたが、このときわずか19歳でした。このため、門人の方が年長であることもありましたが、先生の講義を聞くに及んで、皆感服したといわれています。
明治22年(1889年)から大正9年(1920年)までの32年間、第一高等学校教授の職にありました。先生は、剣道に通じており、文武二道を奨励しました。気節を重んずる一高の校風は先生に負うところが多いと言われています。一高教授のかたわら、小石川の私塾、菁莪書院で英才を教育しました。倉石武四郎博士(1897-1975)も菁莪書院で学んだ思い出を語っています。(『学問の思い出ー倉石武四郎博士を囲んでー』、東方学40号、昭和45年9月)
大正14年(1925年)、71歳で没。
東京帝国大学教授、塩谷温博士(号は節山)は先生の長男です。
2003年7月20日公開。