日本漢文の世界

姓・号

菊池 三溪(きくち さんけい)

生没年(享年)

文政2年(1819)-明治24年(1891) (73歳)

諱(いみな)

純(じゅん)

字(あざな)

子顕(しけん)

通称

純太郎(じゅんたろう)

雅号

三渓(さんけい)

謚(おくりな)

 

出身地

紀伊(和歌山県)

師の名

安積 艮斎

官職等

紀伊藩儒、幕府儒官

代表的著作

東京写真鏡(1巻)
本朝虞初新誌(3巻)
国史略二編・三編(各5巻・・国史教科書として当時よく読まれていた岩垣松苗の一編(5巻)を書き継いだもの。)

伝記:

 先生は、紀伊藩の儒臣でしたが、藩主慶福が第十四代将軍家茂となったので、幕府儒官となりました。しかし、慶応2年家茂公の急逝により辞職しました。
 維新後は、『大日本野史』(飯田黙叟著)の校訂に従事されています。また、阪谷朗廬の後を受けて、警視庁御用掛となりましたが、一年ほどでやめて明治7年に京都に移り住み、その後は著述生活をおくりました。先生の国史に関する著述としては、『国史略二編』(明治11年)『国史略三編』(明治12年)があります。
 先生はことに戯文に長じ、成島柳北らと文名を競いました。依田学海とも親交がありました。先生の作品の中では『本朝虞初新誌』(明治16年)が漢文小説として、とくに高い評価を受けています。これは、当サイトでも紹介している『刀工助広伝』や、『木鼠長吉伝』、『紀文伝』など、面白い素材を漢文で巧みに叙述したもので、先生ご自身が「奇文観止」と銘打たれています。森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』に、主人公(=鴎外)が少年のときに、この『本朝虞初新誌』を愛読していたことが出ております。
 なお、先生の著作は、未刊の稿本も含めて、京都大学付属図書館に保存されているそうです。明治33年、同館が開設されてまもなく、先生の子孫が寄贈したのです。(神田喜一郎『森鴎外と漢文学』)

2001年8月5日公開。2003年4月29日一部修正。

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