日本漢文の世界


紀特模斯的涅士事解説

 この文章は、内田遠湖先生が、ドイツの書物から訳し、論評を加えたものです。元のドイツ書が何であるかは不明です。デモステネスが若いときに苦労して有名な演説家になるまでの過程を詳述していますが、デモステネスが後年祖国のために奮闘したことや、その壮絶な最期について全く記すところがないのを見ると、恐らく元のドイツ書は、少年向けの啓蒙的な読み物であったと思われます。
 遠湖先生は、漢学者としては珍しく、東京外国語学校でドイツ語を学んだ経歴をもっていました。先生がこの文章を訳されたのは明治12年(1879年)です。このとき先生は東京大学医学部予科の学生で、22歳の青年でした。先生は、デモステネスの少時の決意と実践に感動し、この文章の翻訳を手がけられたものだと思いますが、青年学徒らしい着眼であると思います。当時の立志志向にも合致しており、不可能を可能とする勤勉の奨励は、中村敬宇の『陶工巴律西』などとも通じるものがあります。
 デモステネス(前384-前322)は、古代アテネの雄弁家・大政治家です。当時非常な勢力を誇ったマケドニアに対抗し、祖国アテネのために熱弁を振るい、力を尽くした愛国者です。彼の演説でもっとも名高いものは、マケドニアのフィリッポス二世に対する攻撃演説です。彼は二度にわたってギリシア全土を合従連衡させ、マケドニアに対抗させることに成功しましたが、不幸にして勝つことはできませんでした。マケドニアがアテネを占領すると、彼は追われる身となり、ついに毒を仰いで自殺します。
 彼の伝記は『プルターク英雄伝』にあります。『プルターク英雄伝』は、河野与一氏(1896-1984)が訳した岩波文庫版が最近復刊されて話題になりましたが、いかにも学者らしい訳文で読みづらいので、語釈では古い鶴見祐輔氏(1885-1973)の訳(改造社版全六巻の第五巻、ただし英語版からの重訳)を引用させていただきました。
 デモステネスの弁論として今日に伝わるものは、全部で61篇あります。現在、京都大学学術出版会の『西洋古典叢書』において、全7冊の予定で『デモステネス弁論集』が刊行中(現在2冊刊行ずみ)ですが、これによって彼の弁論の一部が日本語で読めるようになるのは、すばらしいことだと思います。

2004年11月3日公開。