伝記:
鳳洲は、はじめ岸和田藩の藩校講習館で、荻生徂徠の古学を学んだ。元治元年(1864年)、長州へ遊学した際に、四外国の艦隊による下関砲撃に遭遇した。この経験は『馬関日記』(『近世叢談』に所収)に書かれている。帰途、阪谷朗廬を訪ね、森田節斎の塾にとどまって学んだ。その後、藩校講習館の教授となったが、勤皇論を唱えたため獄に繋がれている。
維新後は、堺県中属、奈良師範学校長、華族女学校教授、東洋大学教授などを歴任し、教育の振興に尽くした。堺時代には家塾「晩晴書院(晩晴塾)」を主宰した。
鳳洲の詩文はすこぶる多く、時の話題を漢文でうまく表現している。中でも『近世大戦紀略』は、日清・日露の戦闘記事と詩で構成されたもので、漢文による戦記文学の傑作である。これは日露戦争終結直後の明治39年(1906年)に出版された。
大正15年(1926年)、86歳で没。
2001年8月5日公開。2003年2月23日一部修正。