伝記:
先生は、菊池海荘の養子・菊崖の第三子だということです(村山吉廣『漢学者はいかに生きたか』、大修館書店、128ページ)。菊池三渓の子という説(神田喜一郎『明治漢詩文集』、筑摩書房、404ページ下段)もありますが、ちがうようです。
東京専門学校(後の早稲田大学)英語政治学科卒。大隈重信らの知遇を受け、早大教授として漢学を講じました。当時早稲田大学には、先生のほか牧野藻洲、松平天行、桂湖村ら碩学が集っており、彼らとともに早稲田大学出版部が企画した『漢籍国字解全書』の注釈を分担しています。
先生は記事の文を得意とされ、同時代のことを好んで題材としました。それらの作品は『談欛』に収められています。
2004年6月27日公開。