日本漢文へのいざない

 

第一部 日本文化と漢字・漢文

第五章 読解のための漢文法入門

第一節 漢文法へのいざない




(2)漢文の特徴

 漢文には、英語など他の言語とは異なる特徴があります。

 第一に、漢文は現在使われている言語ではなく、完全な歴史的言語です。つまり、その言語を話したり書いたりする人は今や存在せず、文献の中にのみ言語が存在しています。この点は、他の古典語(ラテン語や古代ギリシア語等)と同じです。

 しかし、漢文がラテン語等と異なる点は、漢文はそもそも出現のはじめから口頭で話される言葉であったことはなく、当初から文章語として発達したものであることです(吉川幸次郎著『漢文の話』、ちくま文庫、30ページ)。つまり、漢文は完全な文語(書面語言)であり、書いた人は文語の習慣にのっとって書いたものです。

 第二に、漢文は「表意文字」である漢字で書かれています。

 極端なことを言えば、漢字は音を知らなくても意味さえ知っていれば読むことができます。たとえば、「山」を「mountain」と読んでもよいわけです。漢文は、漢字という表現手段により、「音声言語」ではなく、「視覚言語」として独自の発達を遂げました。

 アルファベットで表記される言語はどんなに複雑で衒学的な表現であっても、声に出して読み上げれば、ある程度理解できるといわれます。しかし、漢文の場合は、視覚による理解が第一義的なものであり、音声は副次的なものにすぎません。ですから、漢文を中国語音などで読み上げても、聞いただけで理解することはできません。(音読したときに特有のリズムはありますが、聞いて理解できるということとは別です。)

 このような視覚的性質により、古代漢語の音をしらなくても漢文は読めます。現代の中国語音や日本漢字音でも読めますし、漢文訓読のような読み方でさえも可能です。わが国の「漢文訓読法」は、漢文の視覚的性質を最大限に活用した読み方です。※

※第二章から第四章までの説明を参照ねがいます。

 第三に、漢文では、格(case)や性(gender)、時制(tense)等による語形変化が一切ありません。それらは語形変化ではなく、語順や附加詞により表現されます。

【例句】『論語』衛霊公第十五より

吾 嘗 終日 不 食。

(訓読)(われ)(かつ)終日(しゆうじつ)()らわず。

(現代語訳)私は、かつて、一日中何もたべなかったことがある。

 この例句は、「嘗」(かつて)という附加詞があるので、過去のことだと分かります。漢文では、英語における「don't eat」と「didn’t eat」のような違いがありません。また、主語が「吾」である場合と「孔子」である場合を考えてみますと、英語なら「吾」だと一人称で「don't eat」、「孔子」だと三人称で「doesn't eat」となりますが、漢文では全く違いがでてきません。

吾  不 食。(吾  食らわず)

孔子 不 食。(孔子 食らわず)

 またさらに、同じ漢字が違う意味(品詞)を表す語として使われることがしばしばあります。しかし、品詞が異なっても、語形はまったく変化しません。

【例句】『老子』冒頭の句

道、道。
名詞  助動詞 動詞  副詞  形容詞 名詞  

(訓読)(みち)(みち)とす()きは、(つね)(みち)(あら)ず。

(現代語訳)道のうち、道としてのっとるべき道などは、真の道とはいえない。

 この句では、「道」という字が名詞(みち)と動詞(「みち」としてのっとる)に使われていますが、形はまったく変わりません。同じ形式(同じ漢字)の語が、どの意味、どの品詞で用いられているかは、語順によって判定するほかありません。

 漢文法の肝要は、語順(word-order)と構文(sentence-structure)であり、音韻、時制、性などといった西洋語の文法書にあるような項目は必要ないのです。



2007年7月16日公開。

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