日本漢文へのいざない

 

第一部 日本文化と漢字・漢文

第二章 漢文と中国語




(5)中国語音読の主張3(倉石武四郎博士)

 最近では倉石武四郎(くらいし・たけしろう)博士(1897-1975)が、中国語の音読を強硬に主張されました。昭和16年に出版された『支那語教育の理論と実際』(岩波書店)は、まさに信念の書です。

 この本の中で、博士が漢文を中国語で音読しなければならない理由として述べておられることを要約してみます。

 

(a)漢文訓読は翻訳としては不完全なものであり、現代においてはかえって誤解のもとになっている。

 まず、本来意味の異なる字を同じ語で訓読してしまうものがある。たとえば、「即」、「乃」、「則」は、それぞれ別の意味を待つが、すべて「すなわち」と訓じている。「すなわち」という語は、もともと「即時」という意味なので、「乃」や「則」をも「すなわち」と読むのは誤訳である。(12ページ)

 また、「自」を「みずから」か「おのずから」かなどと議論するのは、日本語訳の問題にすぎず、中国語としては一つの「自」しかない。このように、漢文がもともと中国語であることを忘れている。(40ページ)

(b)漢文は、中国と直接交渉のあった古代には音読していた。訓読は、遣唐使廃止後、音読が衰えてから発達したものにすぎない。だから、訓読に固執する必要はなく、外国語として中国語音で読むほうがよい。(61ページ)

 荻生徂徠らの音読が廃れてしまったのは、当時の鎖国という特殊な状況のせいである。訓読のほうが音読に勝るためではない。(73ページ)

(c)中国の文化人と交際するのには、文語(漢文)に通じていなければならず、それには中国語の日常会話だけでなく、古典の知識も必要であり、それらの音読も理解できなければならない。(174ページ)

 また、中国の人名や地名などは、中国音で読めなければ、中国人ばかりか西洋人にも通じない。西洋人は中国の人名・地名を中国音で読むからである。(83ページ)

(d)しかし、日本人の書いた漢文、すなわち日本漢文については、国文学であるから、従来どおりの訓読で読むべきである。頼山陽の『日本外史』なども、作者が訓読で書いたものだから、読者も訓読するのが当然のことである。(90ページ)

 こうした日本人の書いた国文学としての漢文を、中国人が書いた外国文学としての漢文を読むための入門として使うことが、そもそも間違いである。(92ページ)

 

 倉石博士は、「『極めて平凡なこと』を書いた書物が一日も早く不用に帰することを願う」(序文)と書かれています。しかし、この本は「平凡」どころか、当時としては驚天動地の内容でした。しかも、中学生にも理解できるような易しい言葉で書かれており、一般教養書として岩波書店から刊行されましたので、ものすごい反響を呼ぶことになりました(倉石博士著『中国語五十年』、岩波新書、47ページ)。当時は、満州事変、支那事変の後で、大衆の注意が中国大陸へ向いていたときでしたから、倉石博士はその時勢をうまく利用したのでした。(安藤彦太郎著『中国語と近代日本』、岩波新書、153ページ)

 倉石博士の影響力はすさまじく、現在ではほとんどの大学において、漢文の講座で中国語(普通話)の音読を用いています。

 なお、(d)の主張について、少し補足しますと、倉石博士は決して日本漢文を排斥されたわけではなく、それらを 「漢文学」から切り離し、「国文学」として扱うことを提言されたにすぎません。ですから、当時の中学校用漢文教科書で、頼山陽の『日本外史』など、日本人の書いた漢文が、中国人の書いた漢文を読む上での練習用として使われていたことについて、「せっかく、山陽先生の心血をそそいで書かれた日本外史が、十八史略ふぜいの踏み台にされているのは、何と云っても寝ざめの好くないことではないか。」といわれています(19ページ)。

 倉石博士が、日本漢文は従来どおり訓読するのがよいと断言されたことは、極めて正しい認識であると思います。史料研究のためにしろ、文学研究のためにしろ、日本漢文を扱う場合には、漢文訓読法の知識をゆるがせにすることはできません。

 ただし、中国人が日本漢文を読む場合は、中国語で読んでもらってもかまいません。最近、中国・台湾でも、日本漢文の研究が進んでいます。日本漢文も、「漢詩文」という 東アジアのインターナショナルな文学表現によっていますから、中国語による読解も、もちろん可能なのです。



2004年11月3日公開。

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